基本情報
こんにちは!suzumeママと申します。
私は田舎暮らし40代、高校生と小学生の3人の母、5人家族+愛犬1です。
この春、息子が高校進学をきっかけに都市で一人暮らしを始めたので、現在は夫と娘達4人で暮らしています。
このブログは、子育て、手作りで健康な食事、にフォーカスしています。
「今日は何をつくろう?」のヒントになる情報や、
離れて暮らす家族の食事や、日々忙しい皆さんにも役立つ、冷凍ストックも多く紹介していきます。
家族が健康な体で、笑顔で、生活できるように
そのために私が一番大事にしている事は食事。
朝食を食べた後、家族はそれぞれの場所に出かけていきます。朝を一緒に過ごすのはほんの1時間弱。
夕方から夜に帰ってきて家族が揃うのもほんの数時間。(あとは睡眠時間)
家族が一緒に過ごす時間には必ず食卓を囲む時間があります。
美味しいご飯をお腹いっぱい食べながら、美味しいおやつでお茶をしながら、その日あった事をそれぞれ話す。気持ちをシェアする大事な時間です。
それは心が満たされる、笑顔になるための、心身共に大切な時間です。
我が家では
家族の食事の時間をつくるのは母親である私の仕事。
美味しいものを作れるように、
そしてもう一つ、
できるだけ無添加で体にいいものを手作りするように、
私の日々のテーマです。
第一子である息子が生まれた時から、この子が一生使う体を作るのは私だ!という意識を常に持ち、スーパーの買い物の際は必ず裏表示を確認する日々がスタート。食事は「無添加、手作り」を心掛けています。
「家のごはんが一番美味しい!」
「外食じゃなくて、家で食べたいな…」
家族がそう感じてくれたら、とても嬉しいですね。
運営目的
そんな私の日々の料理を、このブログで紹介したいと思います!
日々の試行錯誤から「これは便利!」と感じたレシピを紹介すると共に
子育て奮闘記?を小説のように綴って、皆さんに楽しんで頂けたらと思います。
特徴①
私のレシピでは、冷凍するものを多く載せています。
それは息子の一人暮らしと同時にスタートした、便利なアイディアを紹介するためです。
一人暮らしをしている息子は、家事力ゼロで、包丁も使えない、皿洗いもした事がない…(なのに実家にいる間練習もしなかった)その状態のまま一人暮らしがいきなりスタートしたので、そんな息子の食事を、外食に頼らずどうやって支えたらいいのかとかなり悩みました。
そして、冷凍庫をフル活用し、時には電子レンジも使い、家にいる食事と同じものを、包丁を使わずに、スーパーにも買い物に一切行かずに、一人暮らしの息子が食べられるようにしました。
その工夫のレシピをここに載せていきます。
私のように、離れて暮らす家族の食事を作るのは勿論、
日々忙しい皆さんが冷凍を駆使して、平日の調理を楽にするアイディアにも繋がると思います。
そしてもちろん、家にいる夫や娘達の日々のレシピも紹介していきます!
特徴②
私は料理をする時(パンや特別なスイーツを作る時以外ですが)、計量をしません。みなさんもきっと、夕飯のおかずを作る時は計量しない方のほうが多いのではないかと思います。それは家族構成(作る量)も違うし、味の好みも違うから、一概に記載の分量に従えるわけではないからです。
だから私も、材料は載せますが、分量は載せません。「そんな事言われても、大体の比率とか言ってくれないと分からない」と思われるかもしれません。でも是非、考える力を使ってください。想像力を働かせてください。五感を研ぎ澄ましてください。そうすればきっとその家庭好みの味を作り出せると私は信じています。ロボットではない、人だからこその料理ができ上がるのだと思います。たとえもしそれが美味しくなかったとしても、気持ちエネルギーの入った、手作りの良さが沢山入った、市販の製品にはない栄養がたっぷりの健康的な食事になるのです。
これまでの人生(経歴)
幼少期の私
子どもの頃から選択の自由がない人生でした。半ば器用だった為に、そして人一倍親想いだった性格の為に、親から過剰な期待をされ、「優秀であるのが当然」というスタイルの教育の元、母親の指示どおりの道を進む以外の選択肢は許されませんでした。少し過激に表現すると、今で言う「毒親」の母親の元で育ったという事です。母親が某有名音楽大学以外の将来を許さなかったので、私自身が自分の人生を考える事は一切なく卒業後の職業も母親に決められ忠実に従ってきました。
優等生をしながら、初めて料理をしたのは小学3年生でした。会社経営をしていた実家では両親が忙しく、長女の私が料理や皿洗いをするのは当然の事でした。やがて高学年になると、きょうだいが「お姉ちゃん、おなかすいたー」と言うので、時には祖母に電話をかけてレシピを聞きながら、お好み焼きなどを作ったのを記憶しています。
苦しい大学時代の癒しは料理
もともと進みたかった音大の道ではなかったのに、それなりの名門大学だった為、当然過酷な大学生活でした。食事の時以外は練習練習。マンションも四方八方から同じ音大生のピアノの音が四六時中聞こえてきました。自分が休んでいる時間でも、周りから練習音が聞こえてくるので、家に居ても気持ちは全く休まりませんでした。そもそも行きたくて進んだ大学ではありません。でも音大はかなりお金がかかりますから、辛くても全力で頑張るしかありません。実家から飛んでくる母親の圧も加わり、私はすっかり精神を壊してしまいました。摂食障害(拒食症と過食症)…この後何年も続く苦しみです。
自分が食事を普通に取れない癖に、誰かの為に料理するのだけは好きでした。ピアノの練習をしていない時はキッチンに何時間でも立っていられました。時間があると本屋でオレンジページ(料理雑誌)ばかり買ってきて読んでいました。
卒業して地元へ。そして結婚。母になる。
摂食障害を抱えたまま卒業し、母の指示通りに地元に戻り、実家の手伝いをしながら音楽を教える仕事に就きました。地元の男性と結婚しても、摂食障害の苦しみは続きましたが、長男をお腹に授かった瞬間から、私の摂食障害は一瞬にして治りました。
「お腹の子を守らなくては」
母としてのその思いが、息子が、どんなにあがいても抜け出せなかった摂食障害の苦しみから救ってくれたのです。
無添加料理を作る
生まれ育った実家は、添加物を気にする家庭ではありませんでした。だから当然私の食生活も、あまり気にしない生活でした。でも息子の離乳食が始まった時、食品の裏表示を初めて気にして見ました。すると知らない名前ばかり。食品であるのかどうかさえも分からないカタカナや漢字がずらり。「こんな得体の知れない物を、こんな清らかな息子に食べさせて良いわけない…」そこから私の無添加、手作り生活が始まりました。その後、家族が増え、娘が2人になり、仕事をしながら食べ盛りの子ども達の食事を毎日作り続け現在に至ります。
我が家とにかく体が強い。滅多に体調を崩しません。滅多に…というのは数年に一度、軽い風邪を引く程度です。家族の健康は台所から。私はそう思っています。
今日も台所の竈の神様に感謝しながら、食事を作ります!
お問い合わせ
お問い合わせはこちら