冷酷になった日本人

息子

息子が怪我をした

今朝、登校時間に息子から電話がかかってきた。
電話が鳴ると嫌な予感しかない。
そもそも良い内容の電話なんて滅多にない。
大抵はトラブルだ。
「わ!大変だ、なんかあったな」直感でそう思いながら恐々電話に出ると
案の定、登校途中に自転車で転んで怪我をしたという電話だった。
痛い、痛い、と言われてもどれほどの怪我なのか。
怪我の程度がわからないのに、こちらの家族を放って車で往復4時間かけて飛び出すわけにはいかない。

どこを怪我したのか?
出血はしていないか?
骨折しているか?
腫れているか?
歩けるのか?
アパートと学校どちらが近いのか?

そんな事を電話口で質問しながら、指示を出す。
見ていないから分からないが、
緊急な感じではないような気がした。
とりあえず学校の保健室に向かわせた。
心配でしばらく何も手につかない。今日は仕事が忙しい日なのに。

毎日20キロ以上あるバックパックを背負って自転車に乗る息子。
バランスを崩して転んだのだろうけど
身一つで転ぶよりも怪我が大きいのは目に見えている。
どうか無事であってほしい。

「ここの人たちって皆冷たいね。僕が転んでも誰も助けてくれないし声もかけてくれない。見せ物みたいにジロジロ見るだけだったよ…」

本当に胸が痛む。
日本人はいつからこんなに冷酷になったのだろうか?
困っている人、怪我をしている人に手を差し伸べるのが普通じゃないのか?
まして困っているのは制服を着た高校生で
明らかに怪しい人ではないのだから。

そういえば、
この地方都市は、アパートの住人も冷たかった。
息子が引っ越した時、
両端と真下の部屋の住人達に挨拶に行ったが、
何度行っても皆揃って居留守を使い、
(後で考えてやめればよかった行動だが)
引っ越しの挨拶に用意した粗品と挨拶メモを戸口にかけた所、
それだけを受け取り、返事は皆一切なし。
防犯の為なのかもしれないが、
失礼すぎないか?
身元を明かしたくないなら、戸口に受け取りましたありがとうくらいメッセージあってもいいはずだ。
受け取ってくれただけでもありがとうと思えって事?

遠い昔25年以上前、私が東京で一人暮らしをしていた時、
道端で倒れた時があって、
その時も皆横を素通りするだけで誰も助けてくれなかった。
東京って冷たい街だな、と思った。
時が流れた現代、大都会東京だけでなく
この地方都市までその冷酷な生き方が広がったのだろうか。

人の心がどんどん荒れていくのはなんでだろう。
人に優しくする気持ちがなくなるのはなんでだろう。
ロボットみたいに「知らない人に関わるな」という決め事で動き
困っている人が「知らない人」だと、オートモード思考停止で「関わらない」が発動するのは何故だろう。
生活が苦しいから?余裕がないから?
優しくされた事がないから?

変な人が増え、
いつ犯罪に巻き込まれるか分からない世の中だから、
「身を守る為」なのかもしれないが
保身のため、自分さえ良ければいいのか?
少なくとも私は、こんな冷たい人ばかりの街には住みたくないし
大事な家族を住まわせたくない。
日本の昔話の登場人物が困っている人を助けてきたように、
優しい気持ちが日本にまた溢れたらいいなと心から願う。

パンを焼く

息子のことは気になるが(無事に学校には到着した)
こちらの生活もある。
娘達の食事や明日の食事を用意しなければならない。

とりあえず、今日はパンがない。
今日は遅くまで仕事がかかるので夕飯が遅くなる。
私が仕事している間のおやつも、
明日の朝の朝食も、
今パンを作らなければ、娘達がお腹を空かせることになる。

我が家は15年以上パンを手作りしている。
いちいちレシピを見ずとも作れるので、ブログを書き、洗濯やら他の家事と事務仕事をしながら同時進行でパンを作る。
手作りのパンはいい。
マーガリンやショートニングや、そういう物を使わずに、
バターだけを使って、無添加で美味しいパンが焼ける。
私は忙しいので
パン作りにそんなにこだわる時間がなくて、
毎回同じ食感の生地しか作らないが、
その生地は、食パンになったり、チョコパンやチーズパン、ウインナーパン、ホットドック、コッペパン…と色々変身できる生地なのだ。

そんな私のパンを
家族は「どこのパン屋のパンより美味しい」と褒めてくれる。
手作りを嫌がらない人には、よく配ったりもしていたので
「売って欲しい」とか「パン屋さんになればいいのに」とか
言ってもらう事もあるのだが、
パンだけにそんなに情熱を注げないので、
パン屋さんにはなれない。

本日作ったのは
◻︎食パン
◻︎チョコパン
◻︎ウインナーパン
家族が食べるので、形すごく適当だけど…売り物じゃないからいいのだ。
とにかく今日は忙しい日なので。